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「稽古の思想」から考えるパラドキシカル・リーダーシップ。矛盾を抱え込むリーダーの在り方 Vol.1

昨今、変化の激しい社会情勢を背景に、一見相矛盾をする要素を内包した課題に対応するパラドキシカル・リーダーシップに注目が集まっています。しかしながら、矛盾を抱え込みながら両立するというのは簡単なことではありません。その重要性を頭で理解するだけではなく、「パラドックス・マインドセット」という、矛盾を受容しながら、それを創造的なエネルギーにつなげるあり方を身に着ける必要があります。

今回は、そんなパラドキシカル・リーダーシップを身に着け、実践するためのヒントについて、「守破離」の教えなどで有名な「稽古の思想」を手掛かりに考えてみたいと思います。ゲストにお迎えする西平 直 京都大学名誉教授は、教育人間学、死生学、哲学など、人のライフサイクル研究を軸に幅広い領域で深い知見を持ち、今回のテーマである「稽古の思想」については研究の成果を著書として発表されています。

本記事では、西平 直教授にアルー株式会社のエグゼクティブコンサルタントで京都大学経営管理大学院客員准教授の中村俊介が、「稽古の思想」を通して、パラドックス・マインドセットが醸成されるプロセスや、矛盾を抱えながら意思決定をするリーダーの在り方についてお話をうかがいます。Vol.1では、稽古の思想の基本である「守破離」の内容について紹介をします。

※本記事は第2期パラドキシカル・リーダーシップ養成講座の第4回の講義の内容を元に編集したものです。

この記事は、特にこのような方におすすめです。
・パラドキシカル・リーダーシップを実践するためのヒントが欲しい
・パラドキシカル・リーダーシップを発揮するプロセスが知りたい
・稽古の思想の基本「守破離」について学びたい

プロフィール

西平 直
上智大学グリーフケア研究所 特任教授
京都大学 名誉教授
1957年、甲府市生まれ。信州大学、東京都立大学、東京大学にてドイツ哲学と教育哲学を学び、1990年から立教大学文学部専任講師・助教授、1997年から東京大学教育学研究科助教授・准教授を経て、2007年から京都大学教育学研究科教授。専門は、教育人間学、死生学、哲学。思想研究による「人の一生(ライフサイクル)」研究を志し、宗教心理学・東洋哲学における「宗教性(スピリチュアリティ)」研究を継続中。近年は毎年ブータンに通う。

中村俊介 
アルー株式会社 エグゼクティブコンサルタント
京都大学経営管理大学院 客員准教授
東京大学文学部社会心理学専修課程卒。
大手損害保険会社を経て創業初期のアルー株式会社に入社し、営業マネージャー、納品責任者、インド現地法人代表などを歴任。現在はエグゼクティブコンサルタントとして企業のリーダー育成を手掛けるほか、京都大学経営管理大学院「パラドキシカル・リーダーシップ産学共同講座」の客員准教授を務める。監訳:『両立思考 「二者択一」の思考を手放し、多様な価値を実現するパラドキシカルリーダーシップ』(日本能率協会マネジメントセンター)

「守破離」の特徴は「折れ曲がる」こと


中村俊介(以下 中村) 
稽古の思想と言えば「守破離」が有名ですが、以前、西平先生に社内で勉強会をしていただいた際に、「守破離」を経た達人に立ち現れる境地が、矛盾を受容するパラドキシカル・リーダーシップの境地に非常に近いのではないかと考えておりました。

「守破離」を経た達人に立ち現れる境地
AとBを、同時に引き受ける 「即」、あるいは「絶対矛盾的自己同一」
AとBを、同時に捨てる   「無心」

こうした境地が稽古という身体性を伴った行為の先にあるという点から、稽古の思想に我々が研究をしているパラドキシカル・リーダーシップを磨くためのヒントがあるのではないかと考え、今回の機会を設けさせていただきました。西平先生から、稽古の思想を学ぶことを通して、達人の境地=パラドキシカルな境地に到達するためにはどのような要素やプロセスが必要なのかを考えていきたいと思います。

西平 直(以下 西平) よろしくお願い致します。それでは、まず、稽古の思想の「守破離」についてお話致します。守破離は主に、茶道の世界で使われていたそうです。「守破離」の重要なポイントとして、「折れ曲がる」、「直線的には進まない」という点があります。

第2期パラドキシカル・リーダーシップ養成講座西平直先生講義資料より引用

中村 「折れ曲がる」というのはどういうことなのでしょうか?

西平 日本の芸道では、囚われること、縛られることを一番嫌います。ひとつの「わざ」を習得するということは、その「わざ」に固定してしまい、新しい「わざ」をつぶしてしまう危険がある。このように「わざ」が固定されて「わざとらしく」なる状態を、「居づく、住する」と呼ぶのですが、この状態を避けるために「守破離」は、「折れ曲がる」というわけです。

中村 
型を学びつつ、型に縛られないようにするために、「折れ曲がる」というプロセスが必要であると。

西平 
そういうことです。ひとつ具体例を考えてみましょう。ある学生さんがピアノの発表会のために課題曲を一生懸命練習して、先生に聞いてもらったところ「あなたの演奏には楽譜が見える」と言われたそうです。その学生さんは考え込みました。「楽譜通りに弾け」と言われたから一生懸命に練習したのに、「楽譜が見える、楽譜から離れて」と言われてしまう。それなら、はじめから「楽譜から離れて弾くように」言ってくれたらいいのにと。

中村 学生さんの気持ちは、共感できるところもありますが、実際には、楽譜通り弾けるようになって、はじめて楽譜から離れて歌うように弾くことができるので、まずは型を学んで、その後に型から離れるというプロセスが必要になるというわけですね。

西平 
その通りです。同じことを、ものごとの習得、つまり、「できる、できない」ということを例に考えてみましょう。 稽古とは、できなかったことができるようになる、練習をすることです。 もちろん、「できるようになる」ことは素晴らしいことです。ところが、それが、囚われるということと表裏一体となる。そのため、稽古の中に「離れる」というプロセスを入れておくわけです。つまり、明け渡すこと、手放すことです。
先ほどのピアノの例に戻ると楽譜を気になることなく、 内側からの思いに乗って弾く状態、「自然体」を目指すというわけです。スキルとアートという言葉を使ってみれば、アートは、スキルを学んだ後に、そのスキルを手放さないと生じてこないというわけです。

第2期パラドキシカル・リーダーシップ養成講座西平直先生講義資料より引用

中村 頭では分かっていても、一度習得したものから離れるのは、勇気がいることだと思いました。

西平 そうですね。芸道のこの様な考えについて、歌舞伎の人は、「稽古は徹底して、精を出して、舞台に出たら、やすらかにすべし」と表現しました。稽古で存分に工夫をしていたら、舞台でやすらかにしても間が抜けたりはしない。 逆に、稽古において工夫を怠り、舞台に出た時だけ工夫をすると、「汚く、卑しく」なる。 一度身に着けたものから離れる時に、はじめて「その人ならでは」の味わいとなる。その人の中で、熟し、その人なりの味わいとなったものが出てくる。だから、努力してできるようになっただけでは、熟したことにはならない。 熟すためには一度そこから離れなければならない。つまり「守」だけではない、「破」という折れ曲がりが必要になってくるのです。 折れ曲がって、手放してみると、必ず何かが生じてくる。 世阿弥はそのように語っています。
手放したらそのまま何もなくなってしまうと恐れることはない。ひたすら無心を求めていけば、必ず、どこかで新しい何かが生じてくる。この中から出てきたものが、「離」と呼ばれるプロセスというわけです。

第2期パラドキシカル・リーダーシップ養成講座西平直先生講義資料より引用

ポイント
・「守破離」の特徴は、「折れ曲がる」(直線的ではない)こと
・ひとつの技を習得すると囚われる、縛られるので、それを避けるために折れ曲がる
・「わざ」を真似る・学ぶ・獲得する「守」の後に、「わざ」を離れる、明け渡す、手放す
「破」のプロセスを経る必要がある

迷い、行き詰まりから「破」がはじまる


中村 
「守破離」において「折れ曲がる」ことが重要であるという点がよく理解できました。ここからは、「守破離」の各プロセスの詳細についてうかがっていきたいと思います。
守から破への転換を「折れ曲がる」と表現をされていましたが、一つの物事を習得する「守」から、そこから離れる「破」へと至るプロセスについて、改めて詳しく教えていただけますでしょうか。
 
西平 「守破離」の「守」をlearnとすると、「破」はunlearnにあたります。「型」を破ること、つまり、パラダイムを破壊するということです。

中村 
物事を習得していく過程でそのまま突き進むという選択肢もある気がするのですが、「破」のプロセスはどこから生じるものなのでしょうか。
 
西平 「順調に進んでいるのであれば、そのまま行けばいいじゃないか」という疑問はよく聞きます。様々な見解があるのですが、私は、物事を型通りに習得をしていると、必ず「行き詰まり」とか「迷い」が生じてくると考えています。

中村 
「守」を突き詰めた先に生じる「行き詰まり」や「迷い」から「破」が生まれるのではないかということですね。

西平 
その通りです。ここで生じる「迷い」とは、今まで正しいと思ってきた師匠や理論が崩れるということです。あるいは、他の可能性があっても良いのではないか、と考え始めることです。自分が今まで正しいと思っていた 「ビリーフ(信念・確信)」が崩壊する際には、「怒り」や「悲しみ」といった感情が生じます。この場合、怒りの感情がこれまでモデルとしてきた師匠に対して生じることもあれば、逆に、それにひたすら従ってきた自分に対する悔しさ、情けなさを感じることもあります。ここで生じる心の動きはアンビバレントで複雑に絡み合っていると思われます。

中村 
「守」から「破」へと折れ曲がるプロセスでは、複雑な葛藤が生じることがあるのですね。

西平 
もう一つ、「破」のプロセスで注目すべき点は、取捨選択です。「守」から「破」へと至るプロセスの中で、自分にとって必要なものと、そうでないものを区別する、あるいは、その過程で、自分は何を求めているのか、何を必要としているのかを確認し直すことがあります。そう考えると、この「破」のプロセスは、 余計なものを洗い落とす作業と言えるのではないかと思います。

中村 「破」のプロセスは、行き詰まりから生じて、複雑な葛藤を経て、余計なものを洗い落とすということですね。

ポイント
・「破」はパラダイム破壊、型を破ること
・迷い、行き詰まりから「破」への転換がはじまる
・「破」は余計なものを洗い落とす作業

「離」はいかに生じるのか?


中村 
続いて「離」のプロセスについて、お話をうかがえたらと思います。「離」は一番謎に包まれている気もするのですが、どのように理解すると良いのでしょうか。

西平 「離」という文字を見ると、あたかも「型から離れてしまう」ように見えるのですが、そうではありません。「離」とは、むしろ、「型を使いこなす」ということです。

中村 「破」を経た後、どのようにして「離」に至ることができるのでしょうか。

西平 「離」がどのように生じてくるのか、世阿弥は語りませんでした。芸道の思想でもこのメカニズムは十分に明らかにされていません。「破」を経て、一度身に着けた型を手放した後、何らかのかたちで、「底を打つ」感覚があって、 その後、あたかも恵みのように「離」が生じてくると言われています。

中村 「底を打つ」感覚というのは興味深いキーワードです。

西平 
イノベーション研究をなさっている京都大学名誉教授の山口栄一先生とお話をした際に、「守破離」のモデルとイノベーションモデルが似ているのではないかという話になりました。イノベーション研究では、先ほどの「底打ち」のプロセスについて、アブダクション(創発、仮説的推論)という言葉を使って説明されています。このアブダクションのプロセスを通して、手探り、 暗中模索をする中で、条件が整い、ある共鳴場が成り立った際に、 パラダイム破壊型イノベーションが生まれるという考えです。

出典:独立行政法人経済産業研究所「イノベーション・ダイヤグラムから見える次の技術革新領域」 https://www.rieti.go.jp/jp/columns/s23_0011.html
山口栄一, 『イノベーション政策の科学 SBIRの評価と未来産業の創造』, 2015, 東京大学出版会, 特に「第15章 新しいイノベーション・モデル」を参照

中村 確かにそのように捉えると、「守破離」のモデルとイノベーション理論には共通点があるように思えます。

西平 
イノベーション理論は、稽古の思想と比べて、「破」から「離」のプロセスについて詳しく説明してくれています。一方、イノベーション理論は、「似せぬ=破」から、はじまって、「似得る=離」を経て、イノベーションに至るというモデルですが、稽古の思想の場合は、この手前の「似する=守」に注目します。つまり、そもそもパラダイムが生じてくるまでのプロセスにも注目しているわけです。このように見ていくと、「守破離」の中で、実は「守」が非常に大切な要素であることが分かります。

第2期パラドキシカル・リーダーシップ養成講座西平直先生講義資料より引用

ポイント
・「離」とは、型を使いこなせる状態
・一度身に着けた型を手放した後、「底を打つ」感覚があって、
その恩寵として「離」が生じてくる
・イノベーション理論を当てはめると、パラダイムが破壊された後「破」、
暗中模索をする中で、底打ち=アブダクション(創発、仮説的推論)が生じて、条件が整うとパラダイム破壊型イノベーション「離」が生じると考えることができる

達人の境地は「二重の見」=自分の中に矛盾を抱え込んだ状態


中村 
最後に、今までのお話を踏まえて改めて「守破離」について整理をした上で、達人の境地について、お話をうかがえたらと思います。

西平 
先ほど、実は、「守」が一番重要であるという話をしました。表現を変えると、「守」は、師匠と弟子の関係と言えます。「守破離」は師匠と弟子の関係の変容をビジュアライズしたもの。弟子の側から見れば、師匠との関係性に巻き込まれつつ、上手く距離をとるための知恵、師匠との関係に自覚的になるための知恵だったのではないかと考えています。「守破離」の中では、どうしても「破」や「離」が注目を集めがちですが、本当は「守」、つまり、師匠と弟子との関係を考えることが一番重要なのではないかと思います。

中村 
守破離とは「関係性の変容」を上手く乗りこなすための知恵であると。

西平 
その通りです。「守破離」とは、師匠と弟子の関係性が変容する中で、弟子が成長して、達人の境地を目指すプロセスであると言えます。
 
中村 この達人の境地というのはどのような状態なのでしょうか。

西平 
達人の特徴として、「二重の見」があります。二重の見とは、型を《使うこと》と《使わないこと》が自在にできる状態です。つまり、「守破離」が目指す先は、型を使うこと、 使わないことが、どちらも自在にできる境地となります。

第2期パラドキシカル・リーダーシップ養成講座西平直先生講義資料より引用

中村 これは、まさにパラドックス・マインドセットを身に着けている状態と重なりますね。

西平 
リーダーシップというテーマを踏まえて考えると、「守」と「破」を兼ね備え、その緊張関係を残しつつ適宜使いこなすことができる状態が理想的です。マネジメントのフレームワークに、PDCAモデルとOODAモデルがあります。安定している環境では、計画を立て、その通りに実行していくPDCAモデルが有効です。
一方で、戦場のような、何が起こるのか分からない場合は、現状を把握して、瞬時に判断すること、つまり、当初の計画に縛られずに、実際の状況に応じてその都度決めるOODAモデルが求められます。稽古の思想に当てはめて考えると、PDCAは「守」のモデルOODAは「破」のモデルということになります。

第2期パラドキシカル・リーダーシップ養成講座西平直先生講義資料より引用

中村 そう考えると守破離の「離」は、この両者を自在に使い分けることができる状態というわけですね。

西平 
そういうことです。つまり、「守」は当初の計画に従う、「破」はその都度決めていく、「離」は両者の緊張を残しながら、適宜使い分ける。 ですから、「守破離」の先にある達人の境地は、自分の中に矛盾の抱え込んだ、「二重の見」、パラドキシカルな状態であると言えるのではないでしょうか。

中村
大変興味深いお話をありがとうございました。
続いて、Vol.2では、引き続き、稽古の思想を手掛かりに、パラドックス・マインドセットとリーダーシップについて西平先生にお話をうかがいます。

ポイント
・「守破離」とは師匠と弟子の関係性の変容の中で、上手く距離をとるための知恵
・「守破離」の中では、師匠との関係に自覚的になるための「守」が一番重要
・達人の境地とは「二重の見」つまり自分の中に矛盾を抱え込みながら、
型をつかうこと使わないことを自在に使い分けられる状態


続きのvol.2はこちらからお読みいただけます。


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