哲学から考えるアンラーニング~概念の分析から再構築~
「アンラーニング」*1。過去の成功体験から脱却して、自身の価値観や思考の体系を変更し、あるいは一部を手放すこの動きに、今、注目が集まっています。
普段は心理学や組織論から語られることの多いアンラーニングですが、今回は「哲学」という切り口から掘り下げてみたいと思います。哲学というと抽象的な議論をする学問というイメージが強いかもしれませんが、その本質的な価値は、思想の体験をよりよくつくり変えることにあります。この営みは、アンラーニングと重なるのではないでしょうか。
本記事では、日本の哲学研究をリードする京都大学文学研究科哲学専修から五十嵐涼介特定講師をお迎えして、アルー株式会社のエグゼクティブコンサルタントで京都大学経営管理大学院客員准教授でもある中村俊介が、哲学の考え方からアンラーニングに活かせることや、京大哲学専修が挑む「社会レベルのアンラーニング」について、対話を通じて探求したセミナーの内容をお届けします。
*1:アンラーニングとは、学習棄却、学びほぐしなどを意味する。これまで身につけてきた知識やスキル、価値観を意図的に手放したり追加したりして、新しい時代に対応できるような知識やスキル、価値観を獲得し直すプロセスのこと
プロフィール
五十嵐 涼介
京都大学文学研究科 哲学専修 特定講師
京都大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は論理学史、論理学・情報の哲学。日本学術振興会特別研究員PDを経て、哲学を実社会に活かす株式会社AaaS Bridgeを創業。現在は西田幾多郎・田邊元らを始めとした京都学派を生み、近年数多くの産学連携研究を手がける京都大学文学研究科哲学専修にて特定講師を務める。
中村 俊介
アルー株式会社 エグゼクティブコンサルタント
京都大学経営管理大学院 客員准教授
東京大学文学部社会心理学専修課程卒。株式会社損害保険ジャパンに入社。その後創業初期のアルー株式会社に入社し、営業マネージャー、納品責任者、インド現地法人代表などを歴任。現在はエグゼクティブコンサルタントとして企業のリーダー育成を手掛けるほか、京都大学経営管理大学院「パラドキシカル・リーダーシップ産学共同講座」の客員准教授を務める。
「哲学」とは何か?
中村 俊介(以下 中村) 今回は、今、世の中の注目が集まっている「アンラーニング」について哲学の観点からアプローチをしていきたいと思います。そもそも、哲学とは何なのか。五十嵐先生、まずはここから教えてください。
五十嵐 涼介氏(以下 五十嵐 敬称略) 「哲学とはこういうものだ」という答えが決まっているわけではないのですが、京都大学で哲学を研究する我々は、哲学とは、普遍的・抽象的な「言葉」や「概念」について考える学問と考えています。
中村 普遍的・抽象的な概念ですか。
五十嵐 はい。例えば、「理性」「存在」「善」「価値」などです。そういったものについて手を替え品を替え考えていきます。私たちは言葉や概念なしには考えることはできません。そういう意味で、「概念」とは我々の思考の体系の枠組みになっていると考えることができます。例えば、「りんご」という概念があるから、実際に目の前にある果物が食べ物の一種であるということが分かるのです。こうした日常的なところから「理性」や「存在」といった抽象的なものまで、哲学が扱う概念は、社会の基礎、信念や文化、社会制度、法律の背景などを形成していると考えることができます。
中村 なるほど。社会制度や法律の背景を形成している概念と言うと、例えばどんなものが考えられるのでしょうか。
五十嵐 我々はなんらかの価値観を持って生きているわけですが、それは個々人のものもあれば、社会全体で共有されているものもあります。例えば、「個人」や「自由」や「責任」といった概念は、我々が今生きている社会を支えている法律の基盤となっています。つまり、どこまで自覚的であるかということは置いておくとして、我々は何かしらの普遍的・抽象的な概念によって立って生きていると言うことができます。こうした社会の基盤となっている普遍的・抽象的な概念のことを「知的インフラ」と呼びます。
中村 つまり哲学は、そういった「知的インフラ」にアプローチをする学問であるということですね。
五十嵐 そういうことです。まとめると、哲学というのは、社会の基盤となっている知的インフラを検証して、時代に合わせてつくり変えていく営みであると言えます。こうした我々が持っている概念をよりよいものにつくり変えたり、それを通して社会をよりよくしようという哲学観について、最近では「概念工学」という言葉で語られることもあります。
「哲学」×「アンラーニング」
五十嵐 基礎的な概念の検証や刷新を行っている哲学は、ある意味「社会全体のアンラーニングを行う学問」だと考えることができます。今回はそうした前提の元、哲学者の考え方やマインドセットをアンラーニングに活用する方法についてお話できたらと思います。
中村 哲学とアンラーニングの関係についてよく理解できました。改めて、哲学を学ぶことで、アンラーニングに活用できることがたくさんありそうだと思ったのですが、哲学の世界では、実際にどんなことをやっているのか、先生の取組みについて教えていただけますでしょうか。
五十嵐 まずはじめに、一つの事例として、私たちが研究している「Self-as-WE」という思想体系を紹介させていただきます。これは、京都大学文学研究科の出口康夫教授が提唱しているもので、一言で説明すると、「自己」や私という言葉や概念の意味を変えていこうという試みです。現在、様々な産官学連携プロジェクトが進行しており、NTTのサスティナビリティ憲章の中心的な概念として採用されています。自己というのは、我々の社会活動、法律や文化を考える上で中核になってくる概念です。ここを変えるということは、社会の根本的な価値観や信念体系を塗り替えて、人々の行動を変容させることに繋がります。このような過程を社会のアンラーニングと呼んでいるわけです。
中村 自己の概念を問い直すというのは大胆な試みですね。具体的にはどのような思想なんですか。
五十嵐 「Self-as-WE」では、我々個人とはどういう存在なのかということについて洞察をします。そこで出てくるのが、根源的「できなさ」というキーワードです。「Self-as-WE」では、どんな行為であろうと私一人では成し遂げることができないと考えます。例えば、自転車に乗るためには、自転車が機能していないといけない、道路が整備されていないといけない、もっと言うと、重力や空気がないといけない。この様に、あらゆる行為が道具や環境も含めたエージェントによって可能になると考えます。私たちの行為は、様々なエージェントのネットワークの中で成立しているものである。こうした考えをベースにすると、自己や私の範囲も変わります。ここで概念の大きな変革、「私」と「我々」の切り替えが起きるのです。このように、行為の主体としての自己は、個人=「私」(I)ではなく、無数のエージェントのネットワーク=「我々」(WE)なんだというのが、「Self-as-WE」の基本的な考えです。
中村 なるほど。ある意味、普段私たちが当たり前だと考えている自己への考えをアンラーニングして、新しいものの見方を提示していると捉えることもできそうです。
五十嵐 そうですね。今回は、こうした思想の内容というよりは、このような「Self-as-WE」という概念を題材にして、我々が普段どんなことをやっているのか。我々哲学者が実際に行っている思考方法を紹介していけたらと思います。言われてみると普段そういうふうに考えているよなという内容が出てくるかもしれません。そこをもう少し、自覚的に、体系的に、批判的にやっていくことで、何らかのお役に立てるのではないかと考えています。
中村 哲学の先生たちが普段どのように物事を考えているのか大変興味深いです。よろしくお願いします。
五十嵐 哲学に限らず、みなさんが課題に直面した時は、何かしらの問題意識、予感や気配、心がもやもやするようなことがあると思います。スタート地点はここからです。こういった問題意識やもやもやのことを、哲学用語で「直観」と言ったりします。その上で、今回は2つの違和感について取り上げたいと思います。一つは、言葉の「意味」についての違和感。どういう「意味」でこの言葉を使っているのか、それが自分の本当に考えたいことからズレているのではないかという違和感があるケース。もう一つは、「理由」についての違和感。なぜ我々がそう考えなければならないのだろうということについての違和感があるケースです。こうした違和感について、言語化したり分析したりしてはっきりさせることが、哲学が仕事でやっていることです。
「意味/概念」を分析する
中村 「意味/概念」と「理由」という2つのキーワードが出てきました。まずは、「意味/概念」を分析するということについて教えてください。
五十嵐 普段私たちは自分が使っている言葉の意味を十分に理解していないと言えます。例えば、「論理的」という言葉はよく使われていますが、「論理的である」とはどういうことなのか?と聞かれたら、どう答えたらよいのでしょうか。辞書を引いても十分な答えは載っていない。専門家の間でも決まった答えはない。よくよく考えてみると、分からないわけです。実際に我々が使っている言葉のほとんどはそれぐらいの理解度しかない状態で使っているのかもしれません。もう少し身近な例を上げると、自分にとっての「価値」や「幸せ」や「目的」とはなんだろう?ということをみなさん考えると思うのですが、それぞれの言葉の意味については、恐らくみなさんあまりよく分かっていないのではないでしょうか。なので、まずは、言葉の意味や概念を突き詰めていくところからスタートをします。そうすることで、これまで気づいていなかったある種の思い込みや分の信念みたいものを明らかにすることができるのです。
中村 なるほど。これは普段研修をやっている中でもよくある話だと思いました。ある受講生が「うちの組織ってトップダウンなんですよ」と言っていたのですが、何をもって「トップダウン」と考えているのかということを突き詰めていくと、実はそれほどトップダウンでもないことが分かってくる。そうすると、今までは「うちの組織はトップダウンだから上手くいかない」と考えていたことが、実は思い込みだったのかもしれないと気づく。そんな場面がありました。意味を問い直すことでアンラーニングが生まれるきっかけになりそうです。このように、言葉の意味や概念をはっきりさせるためには、具体的にどんなことをするとよいのでしょうか。
五十嵐 実は哲学的方法の場合も、自然科学に類似的なやり方を活用することができます。科学的方法の場合は、まず現象をよく説明できそうな仮説を立てます。そしてそれを元に観察、実験を繰り返して、さらに考えないといけないことがあったらもう一度新しい仮説を練り上げるということを繰り返していきます。実は、哲学でも似たようなことをやっていて、哲学的方法では、仮説のかわりにまず「暫定的な定義」を考えます。これだけでは、その意味が正しいのか分からないので検証をしたいのですが、科学のように観察や実験をすることはできないので、我々哲学者は、実際にその言葉を使っている場面や言葉に当てはまる状況の具体例を考えて、本当にこの定義に合っているのかということを検証していきます。上手くいかない場合は、具体例を元に定義を書き換えていく。このサイクルを繰り返していくのが、哲学における「概念」の分析になります。
中村 仮説と検証のサイクルを繰り返していく中で、概念が突き詰められていくということですね。
五十嵐 そういうことです。定義を検証するための具体例を考える上で一つポイントがあります。それは、なるべく意地悪な例=「反例」になりそうなもの、すなわち「境界事例」を考えること。例えば、哺乳類という概念についての典型的な境界事例としては、カモノハシがあります。哺乳類の特徴があるのに、卵を産む、くちばしがある。こうした例外的なケースを考えることで、概念がより深く研ぎ澄まされたものになっていきます。また、もう一つ重要なポイントはスタート地点におけるもやもや感です。これは今、我々が漠然と思っていることと、何かズレがあるということだと思います。このズレの中に反例が埋まっている可能性が高いので、思考を深めるきっかけになるのです。
中村 普段自分が感じているもやもや感に鍵があるというのは、アンラーニングにも通じるところだと思いました。
五十嵐 そうですね。また、哲学的な思考方法の特徴として、科学と違って、実際には成り立たない仮想的な例を考えてもよいということがあります。これを「思考実験」と呼んでいます。よく「例えば、一年後死ぬとしたら何がしたいですか?」という問いかけがありますが、そうした実際にはありえない想定をすることで、我々の人生の価値や目的を考える上で重要な試金石を与えてくれるということです。ここでも、想像力を働かせてなるべく多くの具体例、意地悪な反例を考えることで、概念が研ぎ澄まされていくということが考えられます。
「理由」を分析する
中村 次に、「理由」の分析について教えてください。
五十嵐 「理由」の分析は、自分が正しいと考えることの「理由」や「根拠」をひたすら掘り下げていくという営みです。「なぜそうなのか?」ということを考え、自分の考えが十分に整理できるまでこの問いを繰り返します。やろうと思えばどこまでも掘り下げられてしまうのですが、目的は考えを整理することなので、十分な範囲でこれをやります。こうしていくと、理由や根拠が見当たらないケースや、あるけど不十分であるというケースが見つかります。これが、もやもや感も原因なのではないかと言えるわけです。このように、「理由」や「根拠」を整理できると、その時々で、これは維持すべきか、棄却すべきかということを選択することができます。
中村 なるほど。これができると、過去の成功体験や思い込みを相対化して考えることができそうです。
五十嵐 そうですね。「理由」の分析について一つポイントがあります。それは、理由や根拠は、範囲の広さに応じて、いくつかのタイプに分類ができるということです。一つは「個人的経験」に基づいているもの。例えば、新人研修で教えられたから、以前、そうやったら上手くいったからみたいなケースです。また、「社会的・時代的制約、常識」に基づいているものもあります。例えば、家に入ったら靴を脱ぐ、夫婦は同じ苗字を名乗るなど。これは社会全体で、共有しているものだと言えます。ただ、あくまで、社会や時代によって変化するものです。もう一つ、「普遍的 な原理・原則」に基づくものがあります。これは、持続可能な社会を目指すべきであるや 営利企業の目的は利益を出すことであるなど、時代や社会によって変わらない普遍的なものです。この分類の中でどこに属しているのか整理ができると、どういうふうに変えていけるのか、今維持すべきか否かが見えてきます。
中村 理由の3つの分類、非常に面白いフレームワークだと思いました。アンラーニングの研修の中で、「組織とはこうあるべき」「マネジメントとはこうあるべき」という信念を持っている人に対して、「あなたは、なぜそう考えるのですか?」と理由を問いかけるセッションがあるのですが、そこで出てくる答えを思い浮かべてもこの3つの分類で説明ができると思いました。「あなたの考えは、この3つの中だとどれに当てはまりそうですか?」と問いかけるだけでも、アンラーニングが進みそうだなと思いました。
五十嵐 実際には3つの分類が複雑に絡み合っていて、一概に分類することができないケースなどもあるのですが、思考を整理するためには役立つフレームワークだと思います。
中村 改めて、意味の分析と理由の分析の過程がよく分かりました。先生が研究をしておられる「Self-as-WE」の思想は、今の枠組みの中ではどのように考えることができるのでしょうか。
五十嵐 Self-as-WEの思想の根幹にあるのは自己概念なので、問いとしては、「自己とは何か?」という意味の分析の側面があります。従来の自己観、我々の社会が受け入れているのは、まずは、個人として、自律的な「私」というものがあって、その上で、それが集まってコミュニティーができるという考え方です。これに対して、うちの京都大学の出口教授は、非常に強い違和感を持ったわけです。そして、その違和感を自分の中で掘り下げていく中で、実は「自己とは、お互いに補完し合うもの」、「我々は一人では何もできない」ところまで行き着いたのです。
中村 ここでは自己という概念の分析をしているんですね。
五十嵐 そうです。次に、では、なぜ従来の自己観が生まれたのか?我々の社会に受け入れられているのか?ということを考えます。これが理由の分析です。哲学史、社会思想史的な視点で考えると、従来の自己観は、西洋的な価値観に基づいていて、日本では近代化の過程で受容されたものであるという理解ができます。これは、理由の3つの分類の中の「社会的・時代的な制約」に属するわけです。そうだとしたら、日本や東アジア的な価値観に基づいた「自己」の概念を考えることもできるはずという考えに行き着いたのです。つまり、私たちが普段当たり前だと思っている「自己」の概念をSelf-as-WEというかたちで相対化することができるという考えです。これが、意味の分析や理由の分析を通して私たち哲学者がやっていることの一例です。
中村 ありがとうございました。前編では、哲学的思考法における「分析」についてお話をしてきました。後半では、分析をした後の「再構築」についてお話をうかがいたいと思います。
ライティング協力:金井塚悠生