この時代に求められるのは矛盾するリーダー⁉世界で数々の賞を受賞した書籍『両立思考』から学ぶパラドキシカル・リーダーシップ Vol.1
昨今、変化の激しい時代の中で、企業は、短期利益と環境配慮、既存事業の深化と新規事業の探索など、一見相反するが、相互依存し、持続する要素(パラドックス)を、同時に実現することが求められることが増えています。こうした状況の中で意思決定することがリーダーの重要な役割ですが、その際に「二者択一」の思考に縛られていると短期ではうまくいっても、中長期では思わぬ悪循環に陥ることがあります。
「二者択一」から「両立」へ経営の意志決定のパラダイムシフトが求められている今、経営学における「パラドックス研究」を世界的に牽引する2名の学者による共著『両立思考 二者択一の思考を手放し、多様な価値を実現するパラドキシカル・リーダーシップ』(以下 『両立思考』)の邦訳版が刊行されました。
今回の記事では、本書の監訳を手掛けた京都大学経営管理大学院 教授の関口先生とアル―株式会社のエグゼクティブコンサルタント/京都大学経営管理大学院 客員准教授の中村俊介の対談形式で、「両立思考とパラドキシカル・リーダーシップ」についてのお話をお届け致します。
Vol.1では、両立思考とパラドキシカル・リーダーシップを学ぶ上でおさえておくべき時代背景、経営学におけるパラドックスの定義と合わせて、レゴ社のケースを題材に、実際のビジネスの現場での「パラドックス」への向き合い方について紹介します。
プロフィール
両立思考が求められる時代背景
中村 俊介 (以下、中村) アルー株式会社は、昨年京都大学と共同でパラドキシカル・リーダーシップ産学共同講座を立ち上げ、『両立思考』の原著であるウェンディ・スミス先生とマリアンヌ・ルイス先生の共著『BOTH AND THINKING』の監訳をふくめ、様々な教育、研究に取り組んで参りました。
今回は、我々が監訳を手掛けた『両立思考』の邦訳版の発売に合わせて、「両立思考とパラドキシカル・リーダーシップ」をテーマに関口先生にお話をうかがいたいと思います。
関口倫紀氏(以下、関口 敬称略) よろしくお願い致します。はじめに今回のテーマ「両立思考とパラドキシカル・リーダーシップ」について説明をする上で前提となる重要なポイントをお話します。
現代の経営環境では、異なる物事を両立する必要性に迫られることがよくあります。そして、お互いに矛盾して見えるものの多くはよく観察すると「パラドックス」であることが分かります。このようなパラドックスの状況で、択一思考に囚われると、経営や事業の状態が悪化することがあります。一方で、パラドックスは、上手くマネジメント出来ると現状打破や創造性の源として組織を進化させる鍵となるものでもあります。パラドックスをマネジメントするのは簡単なことではありませんが、そのための実践方法について研究したものがパラドキシカル・リーダーシップとなります。
中村 講座を運営する中でも、変化の激しい時代の中で「両立思考とパラドキシカル・リーダーシップ」の重要性は益々高まってきていると感じていました。
関口 そうですね。経営学の世界では、これまでもパラドックスの重要性がしばしば指摘されてきたのですが、概念の定義が曖昧なため研究テーマとして発展してこなかったという過去があります。そのような状況の中で、『BOTH AND THINKING』の著者であるスミス氏とルイス氏の業績によってパラドックスの概念が明確化され、先行研究が整理されることで、研究テーマとして発展、実践に活用する道筋ができたのです。現在はパラドックス研究コミュニティーが拡大して、経営学のメインストリームに成長しつつあります。
中村 そうですね。書籍『両立思考』は、パラドックス研究の第一人者であるお二人がこれまでの研究成果を踏まえて、理論と実践をまとめたパラドックス研究のバイブルと位置付けることができそうです。
さて、今回改めて、関口先生には、我々を取り巻く経営環境、両立思考が求められる時代背景から、経営学におけるパラドックスについて、詳しくお話をうかがいたいと思います。
関口 はじめに『両立思考』が求められる現代の経営環境についてお話します。もはや説明するまでもない話ですが、現代は、VUCAと呼ばれる複雑性や不安定性が増している環境にあります。地球環境問題、不安定な政治・経済、技術の発展、AIやDX、パンデミック、不平等こうした様々な問題によって、社会の複雑性や不安定性がかつてないほど高まっています。
関口 また、同時に現代はパラダイム移行期であると言うことができます。つまり、これまでの古い考えややり方から、新しい考えや価値観、やり方に変えることが求められているのです。
重要なポイントは、古い価値観から新しい価値観へ変化する際に、非連続的に変わることはできないということです。パラダイム移行期には、新旧で異なる目標・価値観・信念・視点・利害などが共存する状況が生まれます。
中村 新旧様々な要素が共存する状況の元で、既存の事業を守りながら、将来に向けた新しい事業の機会を探っていく、というような一見相矛盾する2つの要素を同時に追いかけていく「両利きの経営」の重要性が高まってくるということですね。
関口 そういうことです。パラダイム移行期の社会を取り巻く環境を見ていくと、社会レベル、企業の経営レベル、組織レベル、個人レベルなど、様々なレベルで対立、葛藤、矛盾している要素をみつけることができます。このように両立が求められるお互いに対立し矛盾している要素の多くが、よく観察すると「パラドックス」であることが分かります。
中村 VUCAの時代、パラダイム移行期を生きる我々は、様々なレベルで日々パラドックスに直面しながら仕事や生活をしていることが分かります。
経営学におけるパラドックス
関口 続いて、経営学における「パラドックス」の定義についてお話したいと思います。経営学における「パラドックス」は、互いに関連しつつも対立する要素が同時に存在し続ける状態として、以下の3つの要素で定義されています。
1. 対立もしくは相矛盾する要素が同時に存在する
2. 相互に関連しあい、依存しあっている
3. 解消されることなく存在し続ける
中村 具体的にはどのようなものが考えられるのでしょうか?
関口 例えば、企業の短期利益と長期的な発展は一見すると対立します。短期利益を最大化しようとすると、長期投資を犠牲にしなければならないことがあります。逆に長期投資をたくさんすると短期利益を失ってしまいます。そして、この2つの要素は相互に密接に結びついているものでもあります。短期利益の積み重ねが長期的な発展に繋がり、長期的な計画や投資ができているからこそ、短期的な利益を継続して生み出すことができるのです。そのため、企業の経営において、短期利益と長期的な発展という対立は解消することなく存在し続けます。
中村 経営者は対立する2つの要素を追求する必要があるのですね。
関口 その通りです。また、パラドックスにはいくつか似た概念があります。例えば、ジレンマやトレードオフ。これは、どちらかを犠牲にしないといけないという考えです。これらは、一見パラドックスと似ていますが、異なる概念です。トレードオフやジレンマは、どっちをとるかという問題に帰結するのに対して、パラドックスはそれぞれが対立し、かつ、まるでコインの裏表のように相互に依存しあっている状態を表しています。
ジレンマ:同等の選択肢のうちどちらか一方を選ばなければならない状態
トレードオフ:片方を重視すると、もう片方が犠牲になる状態
中村 経営学におけるパラドックスのイメージが明確になってきたところで、改めて我々は、パラドックスに対してどのように向き合っていくと良いのでしょうか?
関口 相対立・矛盾するものに対する一般的な考え方、合理的な考え方は「相対立・矛盾する両方を追求するのは合理的でない。相対立・矛盾する要素が共存している状態は不快であり不安である。よって、非合理的な対立や矛盾は解消すべきである」というものではないかと思います。
中村 確かにこれまでは白や黒かの意思決定をすることが経営に求められてきたというイメージがあります。
関口 まさに択一思考ですね。従来の経営学で扱ってきた意思決定などの分野もそうした考えに縛られたものでした。つまり、各オプションのメリットとデメリットを注意深く分析、比較して、優先順位をつけ、ベストなものを選択する。あるいは、制約条件を考慮した最適化という視点から、メリットが最大化し、デメリットが最小化するような妥協点を見つけるというもの。 経営学の世界において、こうした考えに長く支配されていました。ですが、実際に企業の経営や組織のマネジメントをしていく上で、このような方法は常に望ましいと言えるのかという問いが少しずつあがってきたのです。
中村 冒頭にもお話しがあった通り、現代社会には、択一思考では対応できない問題がたくさんありそうです。
関口 そうですね。両立思考が必要な課題=代表的なパラドックスとして、例えば以下のものをあげることができます。繰り返しになりますが、パラドックスは我々の身のまわりにたくさんあるのです。
関口 また、パラドックスは、企業の経営、組織のマネジメント、個人のキャリアなど異なるレベル間もしくは同一レベル間で、相互に関連して、連鎖的に顕在化することがあります。
このようにパラドックスが顕在化している状況では、択一思考に囚われると、両立する場合と比較して、状況が悪化するというケースが多くなることが分かっています。
レゴ社の危機とV字回復(経営学におけるパラドックスを考える具体例)
関口 これまでお話してきた経営学におけるパラドックスについて、さらに理解を深めるためにレゴ社のケースをご紹介したいと思います。
(※記事の末尾に参考文献を掲載)
レゴ社はデンマークに本社を置く玩具メーカーで国際的な優良企業です。この会社は、90年代半ばには世界に45の拠点を持ち、9000名の従業員数が所属するグローバル企業に発展していました。ところが90年代後半に深刻な経営危機に陥ってしまいます。
中村 レゴ社は、玩具メーカーとしてはずっと圧倒的な成功を収めているイメージだったのですが、経営危機に陥る背景には何があったのでしょうか?
関口 背景には大きく2つの市場環境の大きな変化がありました。一つ目は、ブロックの特許が失効して主力商品であるブロックがコモディティ化してしまったこと。二つ目は、家庭用ゲーム機が普及したことで、 子供たちの遊び方が大きく変わったことです。このことから売上が落ち、98年には創業以来の赤字に転落しました。
その後、「これまでのレゴ」からの脱却を図り、強いブランド力を活かすべく アクションフィギュア、テーマパーク増築や直営店出店、ゲーム開発などの事業多角化を進めるのですが、ことごとく失敗。2003年まで赤字傾向が継続しました。
中村 なぜ、レゴ社はそこまで苦戦していたのでしょうか。
関口 この時のレゴ社を取り巻く状況を「パラドックスの悪循環」として整理することができます。元々レゴ社は、創業以来、唯一無二のブロックメーカーとして成功し続けてきました。
しかしながら、特許切れ後の競合の出現、ブロックのコモディティ化の進展と、テレビゲームの普及によるブロック離れが深刻化という市場環境の変化に突き当たります。この時、レゴ社は、新しい強みの探索とこれまでの強みの深化の両立が必要というパラドックスを抱えている状態と言えます。しかしながら、当時の経営陣は、新たなイノベーションのニーズを認識しつつも、 過去の成功体験からこれまでと同じやり方に固執をしてしまっていたのです。本来なら新しい主力商品を考える必要がある状況下で、レゴブロックに固執してしまったことが、レゴ社が危機に陥った一つ目の原因になります。
中村 過去の成功体験に縛られて変化への対応が遅れてしまったということですね。その後、新しい打ち手として事業の多角化に乗り出すわけですが、それも上手くいかないと。
関口 そこにレゴ社が危機に陥った2つ目の原因があります。
業績の低迷が明確になり危機的状況に陥ったレゴ社は、起死回生の一手として、経営の多角化を図ります。「脱ブロック化」を掲げ、 レゴブランドの強みを活かした様々な新規事業、アクションフィギュア、テーマパーク増築や直営店出店、ゲーム開発などに挑戦します。新規事業は、はじめのうちは調子が良かったのですが、長続きせずやがて失速。さらに投資費用がかさみ収益が悪化します。「私が知っているレゴではない」と言われ 「レゴらしさ」を失い、ファンが離れていきました。事業の多角化を進めた結果、レゴ社は何が強みで、何を目指すべきか、誰もわからない状態になっていたのです。
中村 一連のレゴ社の取り組みはどこに問題があったのでしょうか。
関口 レゴブロックに執着する。あるいは、レゴブロックから脱却して新しい事業に取り組む。レゴ社が選択したのはどちらかを選び、どちらかを捨てるという行動でした。パラドックスに直面しながら、このように択一思考に囚われている状態であったため、レゴ社は危機から脱出することが難しかったと考えることができます。一方で、冒頭にお話した通り、パラドックスは上手くマネジメントできると、現状の課題を打破して、組織を進化させる源になります。レゴ社は深刻な経営危機を迎えた後、CEOの交代を機に経営を再建して見事なV字回復を実現します。今度は、その過程を見ていきましょう。
中村 パラドックスへの向き合い方によって、大きく状況が変わっていくというわけですね。
関口 そういうことです。新しくCEOに就任したヨアン・ヴィー・クヌッドストープ氏は、経営再建の期限を決め、事業や人員の整理を行いました。レゴ社は何のために存在する会社なのかを問い、「レゴらしさを取り戻す」ために、従来の強みであったレゴブロック商品企画に全精力を注ぐべきだと考えました。その後、レゴブロックの開発と製造から離れないように体制を固めた上で、「プレイテーマ」と呼ばれるレゴ独自の商品シリーズを次々と開発していきました。
中村 本来の強みであるレゴブロックを捨てずに、新しい商品を開発するという2つを追いかける選択をしたわけですね。
関口 その後、企業パーパスを明確にし、「ひらめきを与え、未来のビルダーを育む」を掲げます。自分たちの存在意義、「レゴらしさ」を取り戻したレゴ社はイノベーションを加速していきます。MITとの共同研究によって開発したマインドストームというプログラミングロボット教材を開発。また、新商品の開発に熱狂的なファンからのアイディアを活用するユーザー・イノベーションの仕組を確立。ヒット作が続く仕組みを構築して、サプライチェーンも刷新しました。このようにして、レゴブロックの周辺にイノベーションを拡大していったのです。一連の改革と結果を先ほどの状況と対比して、「パラドックスの好循環」として整理することができます。
中村 まさに対照的なサイクルですね。
関口 今回例として挙げたレゴ社の危機とV字回復について、経営学におけるパラドックスという切り口から、改めて整理をします。レゴ社は危機に陥っていた時には、どちらかを選択するということに囚われていました。そうすると短期的には、問題は解消するのですが、他の考えをシャットアウトして、結果的に極端な経営に陥ってしまいました。
中村 本来であれば、これまでの強みであるレゴブロックにも活路があるにも関わらず、それを捨てるという選択をしてしまったというわけですね。
関口 はい。逆に、復活した際は、今あるレゴブロックも、新規事業も、どちらも妥協しないでベストを尽くすという考えで、経営課題に取り組みました。そのために、動きながら試行錯誤を繰り返す。実験的に色々なものを投入して、お客さんからの提案を聞きながら、改善に活かしていく。そのようにバランスをとりながら両方を満たす方法を模索していったのです。最終的には、片方の長所がもう片方に良い影響を及ぼすというシナジー効果が生まれ、V字回復が実現できたというわけです。
中村 パラドックスへの対応の重要性が大変良く理解できる事例でした。レゴ社のケースで学んだようなパラドックスへの対応は、実際に、日常の様々な場面で活用することはできるのでしょうか?
関口 パラドックスをマネジメントするスキルは、会社の経営や組織のマネジメントなどビジネスのあらゆる場面で活用することができます。
次回の記事では、パラドックスのマネジメントを実践するためのスキル「パラドキシカル・リーダーシップ」についてお話したいと思います。
※本記事は11月に開催した『両立思考』出版記念セミナー「多様な価値を実現するパラドキシカル・リーダーシップとは?」の内容を編集したものです。是非、こちらの記事も合わせてご覧ください。