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落合文四郎 note

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アルー株式会社代表取締役社長 落合文四郎のnoteです。 経営、マネジメント、リーダーシップなど、人材育成に関して探究してきた内容をご紹介しています。
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#人材育成

相手の「学習」を導くパートナーになるために

前回の記事では、人が成長するメカニズムについて、「自己成長力(経験から学ぶ力)」に注目をしながらお話しました。そして、部下の育成に関わる場合、部下の自己成長力をどのように伸ばすかが大切であるという点をお伝えいたしました。 ここまでのいわば「土台づくり」ができたら、いよいよ具体的な支援のスタートです。ここから先については、部下の適応課題に対処することを想定したいと思います。技術課題への対応も大切なことではありますが、この点については部下育成に関する書籍に関われていることも多く

人はどのように成長するのか?

前回の記事では、部下の適応課題に向き合うためには、上司(育成する側)、部下(育成される側)両方のタイミングとエネルギーが必要だということをお伝えしました。部下の適応課題に気づいたとしても、すぐに解決しようとするのではなく、長い時間軸の中で、相手と自分にじっくり向き合いながら、適切な時と場面を選択する必要があることも併せてお伝えいたしました。 これまでの記事では、上司が部下の育成に臨む姿勢についてお話ししてきました。これからの記事では、部下の適応課題を含めた成長課題に向き合う

上司が部下の「よき同行者」であるために

前回の記事では、主体的真理を起点とする人材育成を目指す場合、「ヨコの関係」で臨みながら、判断や評価を保留しながら観察をすることが大切という話を致しました。 ここまでが育成に臨む根本的なスタンスの話だとすると、今回は、もう一段具体的なレベルでの部下との向き合い方の話をしていきます。部下が適応課題に向き合うためには、接する上司がどのような考え方で臨むかが大切となります。 主人公を代わってあげることはできないまず前提として「相手の課題は相手のもの」と認識する必要があります。

「上司らしくしなければ」の落とし穴

前回の記事では、技術課題だけではなく適応課題を扱うような人材育成は、育成対象者の主体的真理が起点になること、そして主体的真理を受け取るには、相手の悩みを「ただ観察する」ことがスタートだとお伝えしました。 主体的真理は、人の奥深くにある「根源的な生きる目的」のようなものです。それを観察するということは、表面的な現象や行動レベルにとどまらず、相手の思考やメンタルモデル(=物事に対する価値観)といった「意識レベル」まで捉えることが求められます。 想像してみればわかると思いますが

相手の悩みをいきなり解決しようとしてはいけない理由

前回の記事では、人の本質的な成長のためには、適応課題への対応、すなわち価値観レベルの変容に向き合うことが求められることをお伝えしました。 今回は、技術課題への対処だけではなく、価値観レベルの変容が伴うような成長を支援するための具体的なプロセスについてお話しします。 人材育成は何から始まるか?ここからは、会社において上司が部下を育成する場面を想定し、上司、つまり「育成する側」の視点で話を進めていきます。 読者の中には、育成される側の立場の人もいるかもしれませんが、近い将来

なぜ、知識やスキルを教えるだけでは不十分なのか?

前回の記事では、人材育成の章の始まりとして、人を育てるとはどういうことかについてお話しました。その中では、成長には貴賤はないこと、教育は選択肢を提供することであるということ、教育には限界があるということについて述べました。 今回の記事では、現代社会において、教育の対象となっていることが「知識やスキルの習得」となっていることに対する課題意識をお話ししたいと思います。 「知識やスキルを教えるだけでは不十分」という認識は何となくもちながらも、教育や育成の対象としては知識やスキル

人を育てるとはどういうことか?

今回からは「人材育成」をテーマに取り上げていきます。 事業や組織を成長させるのは「人」ですから、人材育成はほぼすべての会社において重要なテーマです。 私は、アルーという人材育成・社員研修の会社を立ち上げ、この分野に20年近く携わってきました。 膨大な事例を通してわかってきたのは、研修のような方法論はもちろん重要ですが、それ以上に「相手の成長にどのように向き合うか?」という人材育成に向き合う姿勢が何よりも重要ということです。 この記事から始まる人材育成の章において、育成